生みの親と、育ての親・・・・

皆さんは、記憶のない生みの母をお母さんと呼べますか・・?

今から40年ほど前、自動二輪の免許を取るため、自動車学校に提出する書類の、住民票の写しが必要だったので、区役所の取りに行きました。  昔は個人情報保護法もない時代で、(プロ野球選手の住所を記載している、そんな時代だった)詳細を書くと嘘言ってると思われたらいけませんので、詳細はある程度飛ばします。

住民票を見て、「あれ、おかしいな?、親父が婿養子で、入ったのかな」と思い、母親に「お父ちゃん、養子なんや?」と聞きました。   自分はその頃、中華料理の見習いをしていて、アパートに住んでたのですが、店のマスターと、両親が一緒に来て、深刻な表情で、「実はお前が一歳の頃に施設にいて、養子で私達が迎え入れたんや」と告知されました。

その言葉を聞いて、ちょっと嬉しかったことを覚えています。 なぜかと言うと、自分は一人っ子で16歳くらいの時期は思春期の真っ只、親の事、ちょっと恥ずかし時期ってあるじゃないですか・・ それで思ったのが「血が繋がっていないんなら優しくしても、恥ずかしくないわ」とその時は思ったんですよね。 

その嬉しいとゆう感情と、もう一つ、「どんな人が、俺の事、生んだんやろう~、見てみたいな」とゆう二つの感情がありました。   ひどい目に合わされて捨てられたんじゃないから、憎しみの感情は全くありません   

それで、産みの親の戸籍謄本を取り寄たら、なんと、偶然にも隣の、大阪の西成区に最終住所が記載されていましたので、自転車でその住所に行きました。  記載されている○○アパートの前に行くと、玄関先に、おばちゃんが井戸端会議をしていましたので、「このアパートに中田敏子(仮名)さんて方はおられますか?」と聞くと、「中田敏子さんは聞いたことがないけど、田中敏子さんって方やったらいてるよ。呼んであげるから、ちょっと待ってや!」と言ってくれて待っていると  45歳くらいの女の人が来て、

よーちん:「すいません、中田敏子さんですか」 と聞くと、(旧姓で言われたためか・・・) 
産みの親:「・・・はい、・・そうですが・・」 (誰、この子・・?)とゆう顔
よーちん:「僕のこと分かります?」
産みの親:「う~ん・・・あ~、敏美の彼氏か!」
よーちん:「いえ、違うんですが、16年くらい前に、洋一って子産んだ覚えないですか?」
産みの親:「え~、まさか・・・!(洋一と、名付けたので、分かったのでしょう。驚いた顔で)兎に角、部屋上がって」

部屋に入ると、まだよちよち歩きの子供がいました。自分と種違いの子供でしょう。部屋で、色々な事を聞くと、「父親は亡くなっている」 「姉がいる」 等のことが分かりました。 お姉ちゃんは何処にいるのと聞くと、「今、笠松女子刑務所」とのこと!!! 何故、自分を育てなかったのかは、聞きませんでした。 答えにくいことだろうから。 ただ、この人もやりっぱなしやな~って思いました((笑))

もし、皆さんに、生みの親が居てると知ったら、どうしますか?  
「どんな人が、俺を生んだんかな。一度見てみたいな」とゆう感情は湧きませんか?

ただ、自分の場合は、運よく会うことが出来ましたが、生みの母をお母さんと呼ぶことは、生涯ないです。 「おばちゃん」とは呼びましたが!!  一度会ってみると、気持ちは落ち着きました。     ただ、自分が思い描いていた人ではなっかたです!!! 

長くなりますので、また続きはタイトル変えて更新します。

よーちん
よーちん

いつも、ありがとうございます! お疲れさまです!

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